2007年07月08日

なんなんだ

ここしばらく、ひたすら書いている。

すぐに八方塞りとも思える状況に陥る。

どうでもよくなって、いい加減にしようと、

諦めかけるころに、決まって解決策がでてくる。

もっと自由にならないと、完成しない。おもしろくならない。

書くってのは、強烈な充実感と苦痛が伴う。

仕事でも趣味でもないこの、これ、なんだ、いったい。

posted by みなみで at 21:02| Comment(2) | 芝居のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月28日

書いてると

戯曲を書いている。

戯曲はパズルだ。

精密機械だ。

と、つくづく思う。

でも、戯曲に乗せるイメージは

よくわからない、ぐにゃりとした、なにか。

ほら、うのうとさのうがくっつくよ。

posted by みなみで at 11:25| Comment(2) | 芝居のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月15日

−+−

劇中の人物の台詞は
作家が描きたいものを炙り出すための
道具でしかない。

その台詞の中に
人間性や心理のカケラもない。

その台詞が、
人間が当然の心理の上のものであるかのように
見せかける嘘が
堂々と散らばっているだけにすぎない。

人間でないものが
人間のフリをしているだけ。

ただ、ひとつの救いは
完成した作品は間違いなく、
人間から出た人間そのものだということ。

細胞は人間でないように、
登場する人物が人間なのではなく、
作品そのものが人間。

でも、もう少し嘘の数を減らしたい。
でも、減らすと「新しい」とか「わからない」で
片つけられてしまう。

ま、若気の至りですね。
明日は違う思想がでるだろうけど、
通過する風景のひとつを写真でとりました。

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2006年10月02日

戯曲の存在意義

ある感情をどうにかして言葉にあらわそうとしても、言葉という身分を与えられていない感情は山ほどある。
言葉を与えられている感情でも、その解釈は固有名詞じゃないんだから、完全に個人に依存して多様化している。
感情の本質に近づくことができるかどうかは、言葉の問題ではないんだ。
いとおしい、ひとつひとつの心の躍動を、どうにかして、その存在を認めたい。
舞台というのは、それを確かめることができる数少ない場所なんじゃないかな。

役者同士、観客と役者、観客同士。
3つの関係が混在する空間で、ひとつの感情が提示され、反応が起こるんだから。

戯曲は言葉の集合体じゃない。

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2006年09月23日

まぞ?

芝居を作る過程は苦しい。
どれだけやっても不十分だし、
逆に、いつでも、これでいいや、とも思える。
どこに向かっているのかわからなくなったり、
前進しているのかどうかすらわからなくなることもある。
果てしない労力を費やして、一体そこに何が生まれるのか。

でも、生きるということ自体、そういうことかもしれない。
目的地もなければ、向かう方向もわからず、
前に進んでいる実感すら得られないまま、
時間だけがすぎることはよくある。

ただ、そのなかで、もがきつづけるからこそ、
体に血が流れる実感を強く感じられる。
特別優れた人でなくとも、もがくことは誰にでもできて、
そこにこそ生きている実感がある。

くだらないけども、感動的なのです。

芝居はしんどい。
ダイビングみたいな感動的な自然に触れることもなければ、
バンジージャンプみたいな爽快感もない。
人間が人間の中に飛び込み潜り込む、
気持ち悪さだけがつきまとってる感じ。

でも、しんどいけども、好きなのです。

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2006年09月20日

K-PAX

映画じゃなくて、舞台です。
観てきました。
いい芝居でした。

医者が患者を兼ねるとか、
美しい舞台装置とか、
そういったものを、目的にしていない。

よくあるんです。そういったものを目的にしてしまって、
「面白い設定でしょう!」とか「キレイな舞台でしょう!」と、
押し付けられるのが。

でも、この舞台は、そういったもの・・・面白い設定や美しい舞台装置、だんだんと明らかになる謎・・・なんかを手段としてしか使っていない。
そして、その手段でもって、僕ら観客を引き込ませ、
最後に意識の高い台詞を投げてくる。
そんな台詞、普通なら、僕の閉ざされた心で跳ね返されてしまう。
でも、
手段が効果的だから、心が開く。心が開くから、最後の台詞がストレスなく自分に落ちてくる。
そういう意図が見事に成功していると感じました。

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2004年03月28日

台本完成

次回りゃんめんゆーろんの公演は、座付き作家のみ群杏子、座付き作家兼代表の西岡誠一、そして、僕の3人で、同じテーマのふたり芝居を4本+αのオムニバス作品。
一番早くに書き出して、一番遅くまでかかった僕の台本がようやく書きあがり、あとは全体での校正をのこすのみ。
時間かけすぎだったかなぁ〜。でも、自分にとっては初舞台作品になるわけだから、このこくらいかけてもいいか。結果的に間に合ったんだから!

今回の僕の作品は、手に届くドラマです。
エイリアンも、モー娘も、ドラえもんもでてこないし、
インサイダー取引も、民族大移動も、湯けむり殺人もおきないです。
どこにでもいそうな誰かの中の、どこにでもあるようなちょっとしたドラマ。
そうしたかったわけではなく、自分が描きたいものを描く手段を模索するなかで、たまたまそれが一番だと思っただけ。

ほんとは、この作品を悩みつつも生み出す過程を、日記でうじゃうじゃ書いていきたかったんだ。そんな記録が残るのが面白そうだった。
でも、できませんでした〜。余裕なかった。残念だっ。

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2003年12月01日

かなり早いけど、来年に向けて

来年のりゃんめんの公演について、色々なことが決まりつつあります。

わけもわからないまま、芝居をしたいと思い、右も左もわからず、
とても受身な状態で、無駄ではない何年かをすごしてきました。

それが、ここ一年くらいで、ようやく、自分が芝居に求めるもの、表現したいもの、
自分にとっての意義が、はっきりとしてきました。

そして、それをするためには、何かを言い訳に、何かに甘えて、流されて、油断して、
今までのそういう部分を、極めて自分に厳しく、払拭していかないといけないと感じます。

このごろ、深く悩むことがあります。
でも、自分としては、真正面から大いに悩めばいいと思います。
それに打ち勝つ強い志を持てば、どう転がろうと、どんな問題であろうと、乗り越えられるのです。
そして、その志とは、自分はかくありたい、という想いなんじゃないかな、と思います

posted by みなみで at 22:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 芝居のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2003年11月23日

ほうふみたいなもの

自分の演じる人物と、長くふれあっていると、
次第に、その人物が自分自身と重なっていることに気がつく。
自分の中にそういう部分があったのか、
その人物の中にそういう部分があったのか、
どっちでもいいことなんだけど、
そうして、お互いに分かり合えている人物が極めて身近にいることが嬉しい。

ただ、その人物は僕の体を通してしか、想いを表現することができない。
もしかしたら、その人物の想いというのは、僕の想いそのものかもしれなくて、
もしそうなのなら、僕自身は僕自身の体を通してしか想いを表現することができないってことで、
そんなことは、当たり前のことだ。

僕が僕の演じる人物の想いを代弁することは、自分自身の思いを表現することであって、
その想いってのは、きっと、いろんな人の心の中のどこかに潜んで、
うまく表現できなかったりことばに表せないようなもので、
ちょっと変わってて、意外と自分の中だけで抱え込んでいるものだったりして、
そういうものを、見ることができるということが、心地よかったり嬉しかったりする・・・
そんな芝居になっていれば、いいと思う。

自分の隣に、自分と似たような悩みや葛藤を抱えてる人がいて、
自分と同じように悩んでたり葛藤してたりしてるから、
自分1人で悩んだり葛藤してたりするよりも、
すこしだけ、嬉しかったり、心強かったりするなぁって、
そんな、感覚を覚えられる芝居になっていれば、いいと思う。

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2003年09月14日

しばいに

ウルトラマンや時代劇やアンパンマンのように、イイモンとワルモンがいて、
戦いを繰り広げるような、そんな時代じゃなくなりました。
世の中は複雑になって、差別や政治や環境破壊や米軍基地や、そういった、
わかりやすい、いわゆる「敵」は、残ってはいるけれど雑多な他のものに埋もれてしまったような気がします。

それでも、悲しい事件、理解しがたい事件が頻発しているということは、新たな問題を、現代は、現代の人々は、抱えていると思います。

そんな問題に対して、自分は、憤りを感じながらも、天災で多くの人々が亡くなっていくことに対して自分が全く無力であるようなことと似た、空しさを感じます。

一演劇人として何ができるかなんて、大それたことは考えられませんが、
全く何もしないでいることは、よくないような気はします。

悲しんでいる人の横で、一緒に悲しんだり、慰めたり、
喜んでいる人の横で、一緒に喜んだり、
寂しそうな人の横で、一緒に寂しそうにしたり、
それだけだけど、
そんな、演劇をもしかしたら、自分は求めてるのかな。。。なんて、
ふと思いました。「ふと」なので、全然違うのかもしれないけど・・・

posted by みなみで at 23:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 芝居のこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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