2016年09月24日
2015年12月20日
次の記念碑みたいな
子供を放牧しながら、とある戯曲を読む。
文学的で詩的で力強い台詞やト書きに溢れていてとにかく色気がある。
素敵だし憧れるし心に刺さるし揺れる。
自分はというと平素で俗っぽいものばっか。
ほんとうはやってみたいくせに。無駄に頑固や。
絶対口に出せないことがたくさんたくさん増えてきた。
出来事、気持ち、意思、主張、とか。
いや絶対とまではいわんな。
でも、口には出さない。
そんで、エレベーターの束の間とか寝入りとかに、
たまに首を絞めに来るくらい、貯金できてきたから、
言えないから物語って書いてしまえ、みたいな。
どうせ、俯瞰して大人びて整理整頓して書いたりできない。
いや、書けんことないけど、だいたいキレイでおもんない。
だから、これ、いま、書けフラグやと思う。
我慢しないことを、少し覚えたか。
薄くてやたら熱いコーヒーを、もう一杯。
2015年06月10日
さかあがり
逆上がりができた日。
さかさまの青空と地面の間で感じた遠心力。
手からは錆の匂い。夏の匂い。
うれしくてうれしくて家まで走って走ってずっこけて。
血みどろになってを怒られた。
怒られた。怒られた。
逆上がりができたことは、
明後日まで内緒にしておく。
2011年09月22日
せのび
なのに 私は視力検査でいつも2.0だった
私の周りには自慢たらしいそよ風が吹いていて
自慢の自転車に跨って、誇らしそうに走った
みんな情けなくって
みんなこどもみたいで
みんなかわいかった
みんな 大人になってしまった
うるさいタクシーに追い抜かれていった
自慢の自転車は
嘘を乗っけて動けない
いまはちょっと動けないみたいだ
好き、というのは、少し違っているけど、だいたいは、合ってる。
距離ってのは、物理的な距離や、都合や、心。
少しずつ疎遠になる。
無謀な夢を追いかけなくなったり、現実を知ったり。
なんだか、少し取り残された気分になる。
変ですよね。
桜が散ったり、暑さが和らいだり、駆け足の紅葉、だんだんと解ける雪。
日本の四季は全部儚くて、だから、きれいだし愛おしい。
それが成長。
赤子がすぐに子供になるみたいに。
そんな、成長の痛みが、大好きなのです。
2009年12月21日
ついに退職しました
ついに退職しました。
僕じゃないです。
親父。
定年退職後の再雇用を経て、今度こそ、37年間勤めた工場をやめました。
親父の工場には一度だけ、親父がボーナスを職場に忘れたときに(当時は封筒手渡しだったんですね)、夜中家族総動員で行ったことがある。
工場の中のどこかわからないところに車ととめ、弟と二人残された。
緊迫した両親と、雪で明るくなった工場の敷地。
弟と少し会話をした。現在の置かれている状況には触れず、無理をしてファミコンかなにかの話をして、長い時間をすごした記憶が。
ボーナスは無事見つかったようです。あぁよかった。
国道から見える工場群。そこでどんな仕事をしていたのか、さっぱりわからない。37年。僕は35歳。僕のほとんどはあの工場で働いた親父のエネルギーでできてるんだなぁと。いまさらながらに実感。もちろん。和裁をしていた母親が家で縫った何百着という着物、内職で作った何千個という置時計、毎日毎日作ってくれた何千食という飯も。他に悪いことも沢山したから、散々ケツを拭いて流してくれた冷や汗も。それらのおかげの自分です。
感謝しております。だから、こちらからは殆ど連絡はとらないし、メールがきても電話がかかってもなかなか返事をしないし、何かの気持ちを敢えて表明することもまずないんだけど、メールしました。見た目は手のひらに乗っかる位小さいけれど、真剣で素直な気持ちを。
「ありがとうございました。」
0.17パケットの感謝 vs 37年間では、到底割には合いませんが・・・
(1パケットは64文字)
親父からの返事はありません。
2007年09月21日
飲み会
酒に弱い僕は、飲み会の幹事は、
避けて避けてやってきた。
でも、明日は大切な方の送別会。
仕事で、ですが。でも、大切な人だから、奮起する。
酒に弱い自分が、ほとんど寝てない中、
無事終宴を迎えることができるのか。
参加人数60名。多いよ。ちょいと。
サザエさんの列が60人になって制御不能で、
散々ちりぢりになってる絵が浮かぶ・・・
不安だ・・・